こんにちは、さくです。
先日のブログの続きを書きたいと思います。
書くことって、なかなかできないです。エネルギーがいる感じ。
自分を正直に見るっていうことに近い気がして、自分を見るのが億劫な感じ。そして、やっと腰を上げて書いてはみても、まだ自分を正直に見れているのかは、自信がないけれども。ただ、書いていると気づくことがあるのです。今回もそうでした。
どうやって勉強する?
前回の続きで、夏休みが終わろうとしている頃に、ふいが、勉強したいという話をし始めたところからの話です。
ふいは以前、学校からもらった、県の不登校の支援センター?からのお手紙に目を通していて、そこに勉強のことを相談したい、ということでした。
以前もらったそのお手紙は、ふいがいらないと言ったので、わたしは捨ててしまっていて・・・
一緒にホームページを見ることにしました。
そこで、相談窓口を見つけて、ふいは来所相談を選び、保護者が予約するということなので、わたしが電話をしました。
すると、まず相談は1週間から10日後になり、初回は保護者のみ、その次から保護者と子どもそれぞれに担当がついて相談に乗ってくれるとのこと。市の相談機関なら県の相談機関より近いし、一度そちらにも聞いてみたらどうか?ということでした。
ハンズフリーで電話をして、ふいには聞いていてもらいました。そして、この県の相談機関はちょっと違うな、ということで、市の相談機関のHPを見て、こちらもなんか違う、適応指導教室もなんか違う、これだったら学校に行ったほうがいい、とふいは言います。
そして、ふいはひらめいたように言いました。
学校に相談したらいいんじゃん
わたしは、この言葉から先へ先へと思考が飛び、それをふいに言ってしまいました。
学校っていっても、どの先生に相談する?担任の先生?スクールカウンセラー?保健室の先生?
他の教室に行って勉強する学級もあったじゃない?例えば、音楽とか図工とか体育はみんなと一緒に授業を受けて、算数とか積み重ねのものは、別の学級で勉強するとか、できるかもよ。
たぶん、学校の先生は、塾とか家庭教師とかドリル(自分で買うもの)については、言えないことだと思う。
そしたら、相談するのは担任の先生かな?
ふいに不快な様子は見えませんでしたし、ずっと黙って聞いている訳ではなかったのですが、今こうやって書いてみると、完全に私は先走っていました。
ここまで話すと、ふいは
今日はもう終わりにしよ、つかれた
と言い、それからまだ話してくることはありません。
これでよかったの?
わたしは、これでよかったのかな?ってことを考えていました。
今回わたしは先走ってしまった。
だけど、ふいが
おわりにしよ
と言ってくれた。
わたしの話したことがおかしいと思ったら、おかしい、と言える。ごちゃごちゃ言わないで欲しかったら、ごちゃごちゃ言わないでって言える。毎日の暮らしの中で、そうやって言える関係を、言い合える関係を…そんな空気のおうちにしていく。
今回のことに限らないことではあるけれど、もし、今回のことでふいが「お母さんの言ったこと、余計なことだったよ」など言ってきたときに、「そうだったかあ、余計なこと言ってごめんね」と受け止められればいいんじゃないか。
わたしは、間違いを犯さないように、固くなってる。
わたしの言うことが、ふいにとっていらないものなら、それをふいに教えてもらえばいい。
そんなことに気づき、少し肩の力が抜けました。
人に迷惑をかけたくない??
今回ブログに書いていく中で、気づけたことがありました。
学校に相談すればいい、とふいが言ったときに、わたしは、それは学校じゃなくない?って思ったのでした。これまで勉強してこなかったのは、わたしの責任、ふいの責任という思いが、少なからずあって、だからこそこれは自分たちでどうにかしなきゃいけないことだって思ったんです。そんなことで、先生の時間を取らせちゃいけない。先生に迷惑をかけちゃいけない。
でも、本当にそんなきれいな気持ち??
違うなーって思うんです。結局自分を守りたいだけじゃないかということ。そうやって相談することで、相手に「家庭でなんとかしてくださいよ」と思われるのも、態度で匂わされるのも、言われるのも嫌な自分がいたんです。だから、わたしは問題をオープンにできずにいることに気づかされたのでした。
このブログを途中まで書いて、わたしはふと、ふいが不登校になり始めたときに、学習支援の場があることを聞いたのを思い出したんです。それで検索してみると、自治体のホームページにも学習支援のページがあったし、NPOやボランティアの団体の運営している学習支援の場もありました。
ふいが率直に学校に聞いてみたとしたら、わたしの思いつかない方法を教えてもらえるのかもしれない、と思ったのです。
今、ふいは何も言ってこないけれど、立ち止まって考えているのかなと思います。
わたしにとっては立ち止まって自分をみる機会になりました。
変化のとき…なのか、と問えば、それは日々日々、一瞬一瞬のことなのでしょうね。