ふいの不登校

ふいの不登校と、親であるさくのお話

落ちつかない気分

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こんにちは、さくです。

落ち着かない気分…だからこそ、朝は美味しい朝ごはんにしたのです。

昨日焼いたスコーン(←入学式のあと焼いてる時点で落ち着いてない)にヨーグルトと蜂蜜かけて、コーヒーも豆を挽いて淹れて、最近買ったカルダモンのスパイスを入れて…なんて美味しい朝ごはんにしました。

 

入学式…

行きました。気圧で頭痛がするタイプのふい、頭痛い…怖い…でも、行きたい気持ちが強かったみたいです。

式では、緊張してる様子でしたが、呼名されて返事もしてました。卒業式はしなかったか、少なくともわたしには聞こえなかったので、おぉ〜と思いました。

ママさんたちとの壁

ふいの姿は嬉しかったし、みんながみんな、そうじゃないのですが、不登校のはずのふいの親であるわたしに会って、ギョッとしている様子で、なんだか壁を感じさせられるママさんもいました。

学童が一緒で、不登校をするようになってからも、何度か遊びに来ていた子のママさんだったり、同じマンションのママさんだったりしたので、少し苦しくなりました。

でもむしろ、スッと声がかけられたり、挨拶できたりするママさんってすごいなって思います。逆の立場だったら、どう声をかけたらいいものか、迷いが出てしまうかな、と思ったのです。会えた〜嬉しいって気持ちをそのまんまに伝えてくれるのって、本当にありがたいです。

今日も行きました

今日は、お弁当持参の日でした。

昨日の入学式のあと、校門を出たところで、

明日お弁当だって〜

と言ったふい。

え?いるのー?

と聞いたら

あ、ちょっと待って

と言っていたのが、朝起きると、

お弁当作って〜

と言って、あれこれ準備して学校へ行きました。いま、お弁当のころかな〜。

わたしは、掃除や買い物をしてましたが、もうずっとふいのことが頭から離れない(笑)。落ち着かないのです。あ〜落ち着かない、落ち着いてない。こんなに頑張れる気力、どこにあったんだろ〜。どんな顔して帰ってくるのかな〜。

明日は入学式

久しぶりの更新となります。

明日は中学校の入学式です。入学式を控えて、私の思っていることを書き出しておこうかな、と思いました。

小学校の卒業式は・・・

行ったんです。予想していなかったです。

制服の購入について家族で話したときに、「卒業式用のブレザーを無料レンタル」という購入特典があったのですが、ふいは「卒業式は行かない」ときっぱり言ったのでした。(でも、制服を買いに行った時に、お店の人が貸してくれたので、ブレザーは借りて帰ってきていました。)

さかのぼれは、小学校の入学式のとき、なかなか私から離れられなくて、泣いて入場したこともあり、「式」というのは緊張して無理じゃないかなと予想していました。

3月に入って、担任の先生とふいが電話で話して、それから秋ぶりに学校へ行って、卒業式の練習に数回参加しました。そして、卒業式当日は、遅れてだったけれども、式には間に合うように学校へ行き、参加したのでした(証書授与は、返事も壇上にあがることもせずでしたが)。ふいは、最後にクラスの写真にも入り、保育園が同じだった子と写真も撮り、スキップして帰っていました。「参加できた」ことが嬉しかったようでした。

中学校の入学式は・・・

制服は買いましたが受け取りに行っておらず、ほかにも入学までには揃えなければならないものがありました。

ふい自身気にしているようでしたが、昼夜逆転していたり、わたしが仕事があったりで、なかなかタイミングが合わず、行けていませんでした。でも、入学式を控えた4日前に制服を取りに、3日前に買い物にも行くことができました。

ふいには、制服を一度着てみておいた方がいいよ、ということと、上履きは紐履だよ、ということは伝えました。

リボン結びのできなかったふい、前日の今朝、リボン結びを習得!でも、制服は袖を通していませんし、スカートのプリーツのしつけ糸もまだそのまんま。準備なんてしていませんでしたが、さっき寝る前に、入学式のことを聞いてきたので、学校からのお便りを一緒に見ました。

明日、怖いな。

明日、早く起きれると思うから、明日準備する。

と言っていました。

わたしは、いわゆる「いい子」でちゃーんと準備をする子どもでしたので、ふいの様子にハラハラしてましたし、まだどうなることやら・・・という思いは拭いきれません。

明日は、こちらは雨風が強いようです。そんな中でも行くのかな?どうなるのかな?ハラハラしながら、明日を迎えます。

思っていること

わたし、ふいが不登校をするようになって、いわゆる「受け入れた」状態になったとき、「もう学校なんて行かなくていい」というような気持ちになっていたんです。だって、学校ってあんなんだし、こんなんだし、そんなところに行ったところで・・・みたいな「アンチ学校」状態になりました。

それが、ひとの助けを借りて、自分を観て行く努力もして、なんていうんでしょう、平らな気持ちになりつつある今、こうやって何かに挑戦するふいの姿を見られて、嬉しく思います。

学校に行くことが「いいこと」とか「悪いこと」とか、そんなんじゃなくて、ふいが挑戦してみようと思うことだから、応援したいと思ってそばにいられることが嬉しい。ありがとうの気持ちでいっぱいだな。

制服買いました

こんばんは、さくです。

 

今日、ふいの中学校の制服の採寸をしてきました。購入するつもりでいます。

 

制服、どうするんだろ??という思いはだいぶ前からわたしの中にありました。

 

親の会で聞いてみたことも。

買ったけど、一度も着なかった

買わなかった

など、先輩方のお話を聞けて、

そっかー、無駄になってもいいかなーと思えました。

 

ふいは、行けるときは、中学校行きたいと思ってると話しています。

年末に小学校に一緒に行ったのですが、制服のお手紙をもらったときは、なんだか嬉しそうでした。

そのあと、夫も一緒に3人で制服のことを話しましたが、ふいは当たり前に買うつもりだったようです。

わたしは、ふいが買いたいなら買う、がいいと心が決まっていました。

夫はそのとき、

学校行くんだね
制服買って行かないはしないでね
まず昼夜逆転治してね

とふいに言いました。

ふいは、それを受けてどうするのかな〜と思っていたのですが、それほど様子が変わらず、逞しくなったなぁと思ったのです。

 

先週末、お金のことを3人揃っているときに、確認しました。幸い、ふいのこれまでいただいてきたお祝いは、手をつけずに取っておいていて、ふいが不登校をするまでは、高校→専門ないし大学などへ行くことは当たり前と思っていたものですから、学資として貯めてきたお金がありました。そのふいのための貯金から、制服代を出してもいいかな?と確認をして、来週中には採寸に行こうと話しました。

ふいは、

あ、忘れてたー

とまぁ、呑気なこと!でも今週、オンラインで授業に参加している途中で、わたしのところへ来て、

制服買いに行きたい、明日行ける?

と言ってきたのでした。

わたしの都合で、今日になりました。

 

ふいは、採寸を終えた帰り、

疲れたけど、楽しかったー

と言いました。わたしも、おなじ気持ちでした。

 

親バカです。とっても制服姿は可愛かったのです。そして、大きくなったんだなぁと改めて感じさせられました。

 

どうなるかは分かりません。でも、ふい自身が嬉しい気持ちで制服の採寸ができたこと、それがわたしはとっても嬉しいのです。

 

応援する

こんにちは、さくです。

かなりお久しぶりですが、今の気持ちを書き留めておこうと思います。

 

ふいの様子

今、ふいは6年生の12月を迎えています。

以前、

勉強したい

学校に復帰したい

と話していましたが、運動会に行ったあとは、学校へ足を向けたのは1回。担任の先生からはリモートに参加してみて、と言われていて、リモートには数回参加しました。

 

わたしの気持ち

どうするつもりなんだろうな〜って、そばにいてそわそわする気持ちがあります。

足を地につけて、思い直すのは、

学校へ行く

学校に行かない

家でゲームをする

家でイラストを描く

どんなことにしても、ふいがやろうとしていることを応援しよう。

これから、中学校の制服はどうする?ということも出てきます。

でも、制服が欲しいと言ったら、一緒に買いに行くのを、採寸しに行くことを楽しみたいな〜、そんな気持ちでいます。

(親の会に以前参加したときに、制服のことを聞いてみたら、買ったけど結局着なかった…という方がいらっしゃったんです。そのお話、聞けてよかったな〜って思ってます。今のふいの様子を見てると、完全に学校に行くつもりはないわけではない感じなので、もし全く着ないで無駄になってもそれはまたそれ、という気持ちになれました。)

 

ふいのする選択がどんなものであれ、応援したい、その気持ちを腹に据えて、ハラハラしながら、楽しみたいです。

変化のとき…なのか その2

こんにちは、さくです。

先日のブログの続きを書きたいと思います。

 

書くことって、なかなかできないです。エネルギーがいる感じ。

自分を正直に見るっていうことに近い気がして、自分を見るのが億劫な感じ。そして、やっと腰を上げて書いてはみても、まだ自分を正直に見れているのかは、自信がないけれども。ただ、書いていると気づくことがあるのです。今回もそうでした。

 

どうやって勉強する?

前回の続きで、夏休みが終わろうとしている頃に、ふいが、勉強したいという話をし始めたところからの話です。

ふいは以前、学校からもらった、県の不登校の支援センター?からのお手紙に目を通していて、そこに勉強のことを相談したい、ということでした。

以前もらったそのお手紙は、ふいがいらないと言ったので、わたしは捨ててしまっていて・・・

一緒にホームページを見ることにしました。

そこで、相談窓口を見つけて、ふいは来所相談を選び、保護者が予約するということなので、わたしが電話をしました。

すると、まず相談は1週間から10日後になり、初回は保護者のみ、その次から保護者と子どもそれぞれに担当がついて相談に乗ってくれるとのこと。市の相談機関なら県の相談機関より近いし、一度そちらにも聞いてみたらどうか?ということでした。

ハンズフリーで電話をして、ふいには聞いていてもらいました。そして、この県の相談機関はちょっと違うな、ということで、市の相談機関のHPを見て、こちらもなんか違う、適応指導教室もなんか違う、これだったら学校に行ったほうがいい、とふいは言います。

そして、ふいはひらめいたように言いました。

学校に相談したらいいんじゃん

わたしは、この言葉から先へ先へと思考が飛び、それをふいに言ってしまいました。

学校っていっても、どの先生に相談する?担任の先生?スクールカウンセラー?保健室の先生?

 

他の教室に行って勉強する学級もあったじゃない?例えば、音楽とか図工とか体育はみんなと一緒に授業を受けて、算数とか積み重ねのものは、別の学級で勉強するとか、できるかもよ。

 

たぶん、学校の先生は、塾とか家庭教師とかドリル(自分で買うもの)については、言えないことだと思う。

 

そしたら、相談するのは担任の先生かな?

 

ふいに不快な様子は見えませんでしたし、ずっと黙って聞いている訳ではなかったのですが、今こうやって書いてみると、完全に私は先走っていました。

 

ここまで話すと、ふいは

今日はもう終わりにしよ、つかれた

と言い、それからまだ話してくることはありません。

 

これでよかったの?

わたしは、これでよかったのかな?ってことを考えていました。

今回わたしは先走ってしまった。

だけど、ふいが

おわりにしよ

と言ってくれた。

わたしの話したことがおかしいと思ったら、おかしい、と言える。ごちゃごちゃ言わないで欲しかったら、ごちゃごちゃ言わないでって言える。毎日の暮らしの中で、そうやって言える関係を、言い合える関係を…そんな空気のおうちにしていく。

今回のことに限らないことではあるけれど、もし、今回のことでふいが「お母さんの言ったこと、余計なことだったよ」など言ってきたときに、「そうだったかあ、余計なこと言ってごめんね」と受け止められればいいんじゃないか。

 

わたしは、間違いを犯さないように、固くなってる。

わたしの言うことが、ふいにとっていらないものなら、それをふいに教えてもらえばいい。

 

そんなことに気づき、少し肩の力が抜けました。

 

人に迷惑をかけたくない??

今回ブログに書いていく中で、気づけたことがありました。

 

学校に相談すればいい、とふいが言ったときに、わたしは、それは学校じゃなくない?って思ったのでした。これまで勉強してこなかったのは、わたしの責任、ふいの責任という思いが、少なからずあって、だからこそこれは自分たちでどうにかしなきゃいけないことだって思ったんです。そんなことで、先生の時間を取らせちゃいけない。先生に迷惑をかけちゃいけない。

でも、本当にそんなきれいな気持ち??

違うなーって思うんです。結局自分を守りたいだけじゃないかということ。そうやって相談することで、相手に「家庭でなんとかしてくださいよ」と思われるのも、態度で匂わされるのも、言われるのも嫌な自分がいたんです。だから、わたしは問題をオープンにできずにいることに気づかされたのでした。

 

このブログを途中まで書いて、わたしはふと、ふいが不登校になり始めたときに、学習支援の場があることを聞いたのを思い出したんです。それで検索してみると、自治体のホームページにも学習支援のページがあったし、NPOやボランティアの団体の運営している学習支援の場もありました。

 

ふいが率直に学校に聞いてみたとしたら、わたしの思いつかない方法を教えてもらえるのかもしれない、と思ったのです。

 

今、ふいは何も言ってこないけれど、立ち止まって考えているのかなと思います。

わたしにとっては立ち止まって自分をみる機会になりました。

変化のとき…なのか、と問えば、それは日々日々、一瞬一瞬のことなのでしょうね。

 

 

変化のとき…なのか

こんばんは、さくです。

 

夏休みが終わる頃、ふいが学校への思い、悩みをわたしにぶつけてきました。それを受けて、わたしの中からいろんな思いが湧き上がってきました。

 

嬉しい

誇らしい

教えたくなる、道を示したくなる

不安

期待

…わたしは、ふいが学校へ戻ってくれたらそれでいいと思っているわけではないので、複雑です。複雑に捉えすぎているのかもしれません。

 

ふいの思い

ふいが学校に行かなくなったのは、2年生のときの担任の先生がきっかけでした。

もちろんそれは、わたしがふいの言葉を聞いて、そう思ったにすぎないことです。

ほかにも理由となることはあったと思いますが、主に給食をめぐっての先生とのやり取りが大きな要因となったように感じています。

 

ふいは、その先生のことがトラウマだと言い続けていました。

でも、学校に行きたくないと心からの声で言っていたふいが、当たり前だけど変化しているのですね。

 

2年生の1月下旬より学校に行かなくなってから、3年生の前半までは放課後に先生に会いに行っていました。3年生の後半は全く行かなくなり、4年生の最初に新しい担任の先生に会ってみたいと一度だけ放課後に行きました。

5年生は行っていなかったのが、秋口から学校へ顔を出したいと言い出し、3月に2回午前中に行きました。そして、6年生を迎えて、1学期は3回学校へ行きました。

 

ふいが今回話したことは

勉強がしたい。学校に普通に行って、みんなと仲良く過ごしたい。でも授業についていけない。お母さんはわからないけど、お父さんは高校に行ってほしいと言ってたでしょう。このままじゃ、高校に行けないと思う。でも、今からなら勉強に追いつけそう。9月からやってみたら、中学生になる前にできるんじゃないかな?勉強するのは好きなんだよ。2年生の頃のことだから、わからないけどね。だから、どうしたらいいのかな?

ということでした。

実は夏休みに入った頃にも同じことを話してくれました。泣きながら、振り絞るように、言葉にしていました。

今回は、そのときほどではないにせよ、涙が出そうになりながら、自分の思いを言葉にしていました。

 

わたしはどうしたか?

ふいが生まれてから、わたしはふいより先に立って、あれやこれやと世話を焼いてきたタイプの母親でした。

だから、なのでしょう…

どうしたらいい?

と、ふいは聞いてくるんじゃないかな、と思っています。

 

わたしの過干渉から今はこんな感じ、でも、これからはふいの先に出ないで、ふいが自分で考えて、自分で決められるように…と願うわたしは、これにどうこたえていいものか、迷いました。

 

6年生の4月、とても気楽な雰囲気の中、

勉強したいんだけど、どうしたらいい?

と聞かれたとき、わたしは、

うーん、わたしは、ずっと学校に行って勉強し続けてきた人だからわからないんだけどさ、ひとまず6年生の勉強をしてみるってのもひとつなんじゃないの?

と答えました。

そうやってこたえたことは、ふいの可能性、自分で考えて決めていくことへの妨げとなったのではないか?と思い、ふいの「勉強したいんだけどどうしたらいい?」という言葉には、どういう気持ちがこもってたのかを、感じられればよかったと思いました。…本当に具体的な答えを欲していたのか、それとも勉強したくてどうしたらいいかな〜って思ってる、そこを聞いて欲しかったのか…

 

次にふいが勉強の話をしてきたのは、夏休みに入った頃。そのとき、

6年生の勉強からやってみてもわかるわけない、割り算わからないもん

と振り絞るように話してくれたのでした。

ふいがわたしの言った「6年生の勉強からしてみたら」という言葉にとても傷ついていることを感じ、謝りました。

わたしが6年生の勉強からやってみたらと言ったね、軽率だったね、ごめんね

そして、すごくすごーく迷ったのですが、あとで誰に間違ってると言われても、わたしはふいの「勉強したいんだけどどうしたらいい?」の問いにこたえようと思いました。

わたしはいくつか案を出しました。

  • わたしとやる
  • 家庭教師
  • 通信教育…すららというのをフリースクールの人から聞いたことがある
  • 塾に行く
  • ドリルを買ってやる

 

ふいはわたしのこたえを聞いて、少し落ち着いたように見えました。もう少し考えてみる、と言ったか、とにかくふいから話を終わりにして、自分の部屋へ戻っていきました。

 

と、こんなことがあっての、夏休みの終わりの話だったのでした。

 

 

長くなりそうなので、次回に続きを書きたいと思います。

 

 

孤独だなぁ…

こんばんは、さくです。

今日は孤独感に苛まれているわたしの気持ち…それを書いて少し解放したいと思います。よろしければ、お付き合いください。

 

パート先の同僚との会話

わたしは、ふいが不登校をするようになって、仕事を辞めました。そして、1年半ほどは何も仕事はせず家にいて、それからパートを始めました。始めてから、1年以上経ちます。

 

パート先には、最初から娘が不登校をしていて、家にいることを話してあります。

そして、パート先はオーナー夫婦を含めて子どものいる人が3人いるのですが、その全員が娘と同学年のお子さんがいるんです!

 

今日はそのうちの1人の方といっしょに仕事をしました。Aさん、としておきましょう。

 

なぜ孤独を感じたのか…

孤独というより、Aさんの話をきいて、わたしの親としてのあり方が揺さぶられた、という方が表現としてピッタリかもしれません。

 

Aさんは、お子さんに色々させてる、教えてるのです。

・夏休み中は、お小遣い稼ぎにゴミをまとめるところからゴミ捨てをさせる

・通信教育の進捗状況を管理して、やらせる

・学校に行きたくないと言っている幼稚園からのお友達を、お祭りに誘うように言う

・カッターの使い方を教える

(パート先では包装紙を切る仕事があるのですが、その切り方をアルバイトの学生さんがやったことがないと言っていたので、知っていた方がいいと考えて)

など。

 

いま書いていて気づいたのは、わたし、Aさんが羨ましいんです。ポリシーがあってしている、自信があるから。

わたしは、今までの自分の考えを変えたい、変えようとしている最中で、自信がないんですね。

教える自分≒相手を変えようとする自分から、娘の決定を大切にできるように、と思って、娘の言いなりに近かったときもあります。

今は、それは違うかな…と思って、修正してるところなんですが、わたしは自分のあり方に自信が持ててない、自分を確立できてない、Aさんの話を聞いて、そんな自分があらわになったのですね。

 

保育園の同級生からの誘い

また、昨日保育園の同級生のLINEグループから、みんなで集まろうというお誘いが来ました。それが、今日だったのです。

わたしとしては半々な気持ちでして、ふいにも聞いてみました。

ふいに、お母さんはどう思うの?と聞かれて、

懐かしいから行ってもいいかなーとも思うけど、あまり長くはいたくない、半々な感じ

と答えると、ふいは、

困ったなー、うちもどっちでもいいんだよ

と言いました。

集まる場所が車でないと行けないのもあり、うちは車1台で夫が仕事のときは使っていて、集まる日は夫が仕事で遅くなる日だったかも…ということで、今回は行かない、でいいかな?とわたしから言い、ふいもOKと言うので、行かないことにしました。

LINEもグループみんなが返信してるわけじゃなかったので、返信しませんでした。

でも…行くことに気が進まないのは、学校に行っている同級生のママさんたちに、まず、うち不登校しててね…ってところから、話す気まずさだったり、めんどくささだったり、分かり合えなさも想像できたりして、そんな気持ちもわたしにはあるのでした。

不登校してるとか、学校行ってるとか、それだけが、分かり合えないところじゃないはずなんだけど、パート先のAさんの話からあらわになった、自分への自信のなさ、自分が確立できてないことの後ろめたさなのかなぁ。

 

完璧を求めてない?

そう、わたしは自分を確固たるものにしたがってる。

いろんな色のわたしでいいんじゃないかなぁ。一人十色で。